

きょう1月17日はオリックスにとっては忘れられない阪神・淡路大震災があった日で、早いものであれからもう28年が経ちます。
きょうオリックスは正午、大阪市内の杉本商事バファローズスタジアム舞洲で、横田球団本部長、福良GMらフロント、コーチ陣、選手含めて約100人が三塁線に整列。神戸市の方角に向かい、黙とうを行い祈りをささげました。
オリックスと言えば、今は京セラドーム大阪をホームグラウンドとしていますが、やはり「がんばろうKOBE」の印象が強く、グリーンスタジアム神戸のイメージが私自身の中でも今も強く残っています。
阪神・淡路大震災の起きた1995年、当時神戸を本拠地にしていたオリックス。
大震災直後、球団内部ではこんな惨状で野球を見にくる人はいない、今シーズン神戸で野球をするのは夢物語だ、と神戸以外の地方球場で興行する話がでていたところ、その動きに猛反対する人がいました。
それが当時の宮内オーナーで「こんなとき神戸を逃げ出して何が市民球団だ。一人も来なくてもいいから、スケジュール通り絶対、神戸でやれ」と。
すると、球団、選手、市民が一緒に神戸を復興しようという気に変わっていき、開幕試合には3万人と考えられないほどのお客さんが詰めかけ、それが選手たちを感動させ「がんばろうKOBE」に火が付きました。
そして「がんばろうKOBE」を合言葉に、プロ野球チームのオリックス・ブルーウェーブは、快進撃を続け、震災の年にはリーグ優勝、そして震災二年目には地元神戸で巨人を倒して日本一と、まさしく復興のシンボルとなりました。
神戸市民と一体になったオリックスについて、当時の仰木彬監督は、「今はグラウンドとスタンドの一体感をつくるため、メジャー式の球場になっているが、あんな取って付けたものじゃない。当時は本当に一緒にやっていた。(ベンチ入りの選手の)25人で戦っているのではなく、何万、何千人で相手を圧倒した」話されています。
やはり、ファンも神戸への想いが強いのがよくわかったのが一昨年の日本シリーズで、「神戸へ帰ろう」の合言葉で盛り上がり、アダム・ジョーンズ氏の代打ホームランで、神戸へ帰れることが決まった時のファンの喜びは、やっぱりオリックスって神戸なんよなぁと私も思った瞬間でした。
神戸での試合数は少なくなりましたが、これからもあの天然芝の美しい球場での試合を、ずっと見続けていたいものです。


今夜のポンタ監督のおやつは、神戸屋の「クルミレーズン」です。

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