

金子千尋投手も北海道日本ハムに移ってもう4年で、優勝をきっかけにオリックスファンになられた方は、オリックスのエースとしてマウンドを守っていた金子千尋投手をご存じない方もいらっしゃるかもしれませんので、プロ生活18年間で130勝を挙げた金子千尋投手について書いて見る事にします。
2004年、オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併により誕生したオリックス・バファローズとして初めて参加したドラフト会議で、当時あった自由獲得枠でトヨタ自動車から獲得したのが、この金子千尋投手です。
2年目の2006年4月12日の対西武戦でプロ初登板を果たすと、同年7月1日の対西武戦で初先発、そして8月9日の対西武戦8回1死から1回2/3を無失点に抑えプロ初勝利。
翌2007年の3月29日の対北海道日本ハム戦では初セーブ、8月18日の対西武戦では先発での初勝利、そして8月26日の対東北楽天戦では初完投・初完封勝利を挙げました。
翌2008年には自身初の開幕投手も務め、自身初の規定投球回にも到達し、10勝をマーク。
2009年は星野伸之氏以来の2年連続2ケタ勝利を挙げ、2010年には球団史上45年ぶりの3試合連続完封や13連勝などで17勝を挙げ最多勝利のタイトルに輝く。
2011年は春季キャンプ中に右肘遊離軟骨除去手術を受けるも、規定投球回数に到達し10勝4敗という成績で4年連続のシーズン2ケタ勝利を達成しました。
2012年は故障の関係で9試合のみの登板に終わるも、2013年には2010年以来2度目の200投球イニングに到達し、投球回数・完投数・登板数・奪三振はリーグトップ、勝ち星、防御率はリーグ2位、勝率はリーグ3位の好成績で最多奪三振を獲得するなど完全復活を果たし、
そして、福岡ソフトバンクと最後まで熾烈な優勝争いを演じた2014年は、5月31日の対巨人戦で9回を4四球のみの無安打無得点に抑えながら、援護に恵まれず9回裏一死二塁で迎えた自身の打席で代打を送られ、ノーヒットノーランは達成ならず、9回まで無安打無得点ながらノーヒットノーラン達成を逃した投手はNPB史上11人目、9回以上を無安打無得点で降板した投手は2人目でした。
しかしシーズンでは16勝を挙げ最多勝利、防御率1.98で最優秀防御率のタイトルを獲得し、チーム史上初めて沢村賞も受賞し、チームは優勝を逃すも最優秀選手にも選ばれました。
2015年は右肩の違和感などで7勝に終わるも、2016年には通算100勝をマーク、2017年にはリーグ最多の27先発登板を果たし、12勝8敗、防御率3.47で当時の現役選手最高額の6億円で契約を更改。
そして2018年は、17試合の登板で4勝7敗、防御率3.87と不振に陥り、シーズン終了後球団からNPB野球協約の減額制限を大幅に超える減俸を提示し、これに対し金子投手が自由契約を申し入れ、北海道日本ハムへの入団となりました。
オリックスの絶対エースだった金子千尋投手と言えば、伊藤光捕手とのバッテリーで、なぜか急に若月捕手の起用が増えたシーズンでも、金子千尋投手が先発の時には必ず伊藤光捕手がマスクを被り、若月捕手がマスクを被った時には、若月捕手が出すサインに何度も何度も首を振って、なかなかサインが決まらないなんてシーンもありましたが、あれはああやってきっと若月捕手を教育してたんでしょうね。
今後、金子千尋氏は北海道日本ハムの特命コーチとして、アメリカに6ヶ月ほどコーチ留学すると記者会見で本人の口から発表がありましたので、ゆくゆくは指導者への道を進むものと思われます。
金子千尋投手、18年間のプロ野球での投手人生、お疲れさまでした。

今夜のポンタ監督のおやつは、フジパンの「クロワッサンサンド 生チョコ」です。



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